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= 竹ノ山 の タケノコ 通信 =
〔第43号 2017年2月9日〕


今月の話題 「カタカナ語はいらないか」

第42回、1月のチャレンジは、カタカナ語の氾濫に関する問題でした。

【課題】
 今、カタカナ語が氾濫している、以前からある和語・漢語で言えることをわざわざ外来語(英語)で言うのはよろしくない、このままでは、本来の日本語が失われてしまうといった意見をしばしば耳にします。
 たとえば、「イチローは多くの若手大リーガーからリスペクトされている」などと言わないで、「尊敬されている」と言えばいいというようなことです。
 しかし、「リスペクト」と「尊敬」は同じ意味と言えるでしょうか。「尊敬」は、《その人の人格全体が優れていると認め》《むしろ近づきがたい人と思う》といった意味でしょう。それに対して、「リスペクト」は、《(スポーツ,芸能など)自分と同じ分野において優れた能力をもっていると認めている》といった場合に用いられるようです。「??リスペクトする歴史上の人物は西郷隆盛です」というのは、ちょっと変、つまり、「尊敬」と比べて、使われる分野が限られており、ニュアンスに違いがあると言えます。
 微妙なニュアンスなどを表すために作り出される新しい表現として、カタカナ語が用いられることがよくあります。以下のカタカナ語は、在来の和語・漢語で言ったらどうなるでしょうか。その場合、在来の語と比べて、どんな意味・ニュアンスの違いがあるでしょうか。
1.テナント 2.バージョン 3.コーナー 4.グレーゾーン 5.ゲットする

 いただいた解答などを総合すると、以下のようなことになります。

1.テナント : 英語“tenant”は「借地・借家人」「居住者」、場合によって「不動産の所有者」を意味しますが、外来語としては「ビルなどのある部分を借りている人」を指すのが普通です。ビルの1フロアとかデパートの1区画を借りて業務をする場合に、国語辞典の説明にある「借り主」「借り受け人」では、意味が広すぎる、表現がスマートでないなどの違和感があるでしょう。

2.バージョン : 英語“version”に「書物などの版」の意味がありますが、外来語「バージョン」は,楽曲(インストルメンタルバージョン、英語バージョンetc.)や映像作品(リメイクバージョン、ロングバージョンetc.)について主に使われています。「版」では、語形の面からもわかりにくいでしょう。

3.コーナー : まず、“corner”の本来の意味である道路が曲がっているところについては、「(曲がり)角」のほうが普通で、自動車の運転以外ではあまり使いません。店や施設の「特売品コーナー」「展示コーナー」などは、「売り場」「〜場」と意味は同じですが、印象の強さが違います。テレビ番組などの「お天気/情報コーナー」になると、和語・漢語ではうまく言えません。

4.グレーゾーン : 国語辞典などでは,「どっちつかずの領域」といった‘説明’が載っているだけで、和語・漢語への言い換えはしていないものが多いようです。「どっちつかず」というだけでなくて,「良い/悪い」「許容できる/できない」の判断がむずかしい状態を言うので、在来の和語・漢語にはなかった部分をうまく言い表していることばと言えるでしょう。

5.ゲットする : 「新商品/情報/彼女」など,何についても使われるようになってきています。「手に入れる」「入手する」と比べると、もちろんくだけた表現ですが、さらに、ちょっと得意げだったり照れを含んだりといった感情を表すために選ばれるようです。

このように、カタカナ語が、在来の和語・漢語では表しきれないニュアンスとか、和語・漢語に比べて限定された意味をもっていたりすることがあります。日本語の表現のレパートリーを広げているといえるでしょう。

社会の変化に応じて、新しい語を作ることは常に必要です。在来の語彙を使いこなして表現できる範囲は限られていて、現に、毎日膨大な数の新語が作られています。最近作られる語は外来語ばかりという印象をもつ人がいますが、「居場所づくり」「特殊詐欺」など、和語・漢語による造語も健在で、実はカタカナ外来語の比率が圧倒的に多いということはありません。
それでは、なぜ「カタカナ語の氾濫」という批判になるのか。それは、節度、つまり、受け手への配慮の欠如によると思われます。
 新語は、ある領域で生じる新しい概念を表すために作られるものです。その領域に関わる人たちの間で理解できればよく、ソトの人々には理解できない、理解できる必要もないものです。それが、マスコミに乗るなどして社会全般に広まっていくようになれば、わからない、という反応が出てくるのは当然と言えます。その領域の関係者や報道機関が十分に説明することが必要でしょう。
 また一方で、「結果にコミットする」「東京のブランディング」「レガシー」のように、キャッチフレーズとして目新しさを印象づけるために使われることばがあります。これは、わからない、なんだろうと人目を引くことに目的があって、違和感をもたせればむしろ成功ということになりますが、受け取り手によっては、わけのわからんことばではぐらかしているとか、英語の知識をひけらかしていると感じることもおおいにありえます。
 結局は、言い古されたことですが、新語であろうと以前からあることばであろうと、カタカナ語やアルファベット略語に限らず、和語・漢語であっても、聞き手にわかるか、説明が十分か、不快感を与えないかを考え、‘節度’をもって使うということに尽きるでしょう。

(日本語学科 中道真木男)

今月のチャレンジ

第43回、2月のチャレンジ問題は、「お疲れさま」についてです。
留学生が、授業が終わったあと、「先生、お疲れさまでした」と言って教室を出て行くことは少なくありませんが、近年、日本人学生からも「お疲れさまでした」や「お疲れさまです」という声を聞きます。「お疲れさま」は、よく「ご苦労さま」と一緒に取り上げて説明されることが多いのですが、「ご苦労さま」よりも、使い方や受け止め方に揺れがあるようです。
みなさんは、どんな場面で、「お疲れさまでした」や「お疲れさまです」を使いますか。あるいは耳にしますか。具体的な場面を教えてください。また、違和感を覚えたことはありませんか。それらから、「お疲れさま」はどのように使うのか、分析して送ってください。