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日本語学科を巣立って・2010年3月

  日本語学科をこの3月(2010年3月)に卒業した皆さんから,日本語学科での学生生活について原稿を寄せていただきました。勉強や課外活動,学生生活に一生懸命関わってきた様子をご紹介します。


英語学習

日本語学科での英語学習について,2人の卒業生にそれぞれの学習法を紹介していただきました。

何事も、大切なのは熱意と努力

  日本語学科での4年間はあっという間で、入学したのがついこの間であるかのように感じています。授業は興味深いものばかりで、日本語教育に関する授業、小説を書く授業、スピーチや朗読をする授業、日本語の歴史を学ぶ授業、英語でプレゼンする授業など、面白かった授業を挙げればきりがありません。中でも、私が一番好きだったのは日本文化の授業です。3年生の時には「日本文化研究」というゼミで、「平安貴族と色彩感覚」というテーマで研究をしました。さまざまな文献を調べるだけでなく、京都の博物館まで足を運んだりと、自分の興味のあることを深く掘り下げていく作業はとても面白かったです。アルバイトやサークルなど授業以外の活動もあり、忙しく大変なこともありましたが、充実した日々を過ごすことができ、日本語学科に入学して良かったと思っています。

  そんな私ですが、大学を決める際には非常に悩みました。昔から英語が好きで、大学では英語を学ぼうと考えていたのですが、高校生になって日本文化も学びたいと思うようになりました。そのため、初めは他大学の、英語を学ぶ学科か、日本文化を学ぶ学科への入学を考えていました。そんな時、名古屋外国語大学の日本語学科のことを知り、日本文化の授業があるだけでなく、英語の習得にも重点を置いていて英語の授業が多い、という点に惹かれ、入学を決意しました。

  日本語学科でも、努力次第で英語の力は充分伸ばせると思います。私は、大学入学前には530点だったTOEICの点数を、820点まで上げることができました。私が英語の勉強の際に工夫していたことは、英英辞典を使うことです。授業の予習をする時には、まず、辞書なしで英文を読み、二度目に読むときは、知らない単語を英英辞典で調べながら読みます。このとき,英語で書かれた単語の定義の中にも知らない単語がある場合があるので,それも英英辞典で調べます。その定義の中にまた知らない単語があれば、さらにそれを英英辞典で調べます。このような作業を繰り返し、どうにも理解できない時だけ英和辞典で調べます。この方法により、本文に出てくる単語の他にも新しく単語を覚えることができ、語彙を少しずつ確実に増やしていくことができました。このような普段の勉強以外でも、英会話教室に通ったり、大学の英語スピーチコンテストに出場したり、オーストラリアへの短期海外研修に参加したりと、英語を学ぶ機会を自分から作るよう努力していました。

  勉強だけに限らず、何事も本人のやる気と努力次第だと思います。何かに興味があってもそれに取り組む時間がない、何から始めれば良いかわからないなどと考えても、本当に興味とやる気があれば、自分で情報を収集し、色々な方法を見つけられるのではないかと思います。サークル活動、資格取得、ボランティア、趣味、どんなことでも構いません。悔いの残らない学生生活を送るために、これから入学する人には、興味のあることに躊躇せずどんどん挑戦していって欲しいと思っています。

(2010年3月卒業・古澤美帆)


TOEICへの道のり

  私は3年生の時、TOEIC公開テストで805点を取得することができました。満点が990点のTOEICでは、高得点に入ります。

  私が英米語学科ではなく、日本語学科に在籍していることを伝えると、「どうして日本語学科なのにそんなスコアが取れるの?」と驚かれます。
「日本語学科」と聞くと、日本語の文法や文学、歴史などを学んでいると思われがちですが、英語もしっかりと勉強します。日本語を知らない外国人学習者とコミュニケーションを取るために、英語が必要だからです。

  私はもともと、留学に必要なTOEFLを取得するために、学校で行われる「TOEFL支援講座」に参加していました。ですが、留学に行かなくても日本で英語力を高めることができるのではないかと考え、留学に必要なTOEFLの勉強ではなく「TOEIC支援講座」に参加することを決めました。留学生と勉強ができる英文日本事情という授業も取りました。英文日本事情は授業がすべて英語で行われるので、不安はありましたが、英語を上達させるために参加しました。

  支援講座は授業終了後に行われ、英会話学校の講師たちが講義をしてくれます。例えばリーディングでは、TOEICに出る傾向があるものを重点的に解くことができ、自分ひとりで勉強するよりも効率よくできました。それでも覚えられない単語や文法は、小さなノートに書きだし、通学の電車の中で繰り返し覚えるように努力しました。日本語学科の宿題もあり、支援講座の宿題もやることは思った以上にハードで、テレビを見る暇もないくらいでした。「もうやめたい」と思ったことも何度もありました。ですが、「留学した子よりも英語がうまくなりたい」という気持ちがあり、こつこつと勉強を続けました。

  勉強を続けるうちに、英語が身に付いていると実感することができました。ネイティブの先生が何を言ったのか理解できるようになり、辞書を引かずに英文を読めるようになりました。英文日本事情の授業で「日本の映画を一本見て、自分なりの解釈をレポートにまとめ、そのプレゼンテーションを行う」という課題が出たときも、自分が授業で研究をしていた「舞妓」と関連させ、高評価をいただきました。そして、TOEIC公開テストでは、805点という高得点を取得することができました。

  日本語を勉強し、英語も勉強するということは、「日本をより深く知り、それを外国の方に伝えることができる」ということだと私は思います。日本について学ぶことは日本語学科だからできることです。私は卒業してしまいますが、この強みを生かして、社会に羽ばたいていきたいと思います。

(2010年3月卒業・山内碧)


課外活動

大学生活の中での課外活動について,2人の卒業生にそれぞれ携わったこと・思い出を語っていただきました。

英語表現劇活動

『星の王子さま』での受賞時に(筆者は前列中央)

『星の王子さま』での受賞時に(筆者は前列中央)

  僕が学生時代に力を注いだことは、ESS(English Speaking Society)という英語会話サークルで取り組んだ劇です。

  ESSではそれまでは英会話、ゲーム、スピーチなどの活動がメインでしたが、愛知県内の大学が集まって行われる英語劇の大会があることを2年生の時に知りました。2年生の秋には初めて英語劇に取り組み、男友達5人で小泉八雲の『耳なし芳一』を発表しました。

  僕は幼稚園の頃から「ラボ・パーティ」という、主に英語と日本語で身体表現劇をする活動を続けています。自分が学校の外で続けてきた英語劇を大学でもやってみようと思い、参加することにしたのです。

  僕以外の4人は演劇が初めてだったので、自分が分かる範囲で色々と提案していきました。最も力を入れて伝えたことは、道具・衣装などを一切使わずに発表することです。登場人物の感情・木・風・音など全てを自分たちの身体だけで表現しようと提案し続けました。

  「全てを身体のみで表現」と聞いてもすぐにはぴんと来ないかも知れません。共に活動した仲間も同じで、折に触れて「ここは本物のランプを使おう」などという声が上がりました。その度に話し合い、時には論争し、身体表現の可能性を伝え、劇に取り組んでいきました。毎日、大学に夜の9時過ぎまで残って練習し、本番前にはネイティブの先生を前に数回発表を行いました。

  その甲斐もあり、愛知県内の8大学が出場したドラマフェスティバルという大会では、優勝することができました。僕たちは、初めての取り組みということもあり、もともと賞などは期待せず、だめでもともとで「自分たち自身が楽しむこと」を目標に発表にのぞみました。それが功を奏したのか、伸び伸びと発表ができ、全体での優勝に加え「ベストアクター賞」・「ベストキャラクター賞」・「音響・ライト効果賞」など様々な賞を受賞することができました。

  発表を終えて最も強く感じたことは、演劇も何でも「人付き合い」だということです。相手がどんな気持ちで取り組んでいるのか、共に活動していると何も言わなくても不思議と伝わってしまうものです。自分の意見をどこまで伝えるか、相手の意見をどこまで受け容れるか、時には相手の「気づき」を待ち、また時には自分自身の新しい面に気づく。そして、自分という人間を見つめ直すきっかけにもなりました。優勝という結果は、そのような「人と人とのつながり」から生まれたものだと信じています。

  その後は、『羅生門』・『星の王子さま』など様々な物語に取り組み、仲間と深く関わり、物語と向き合い、自分を見つめ、充実した学生生活を送ることができました。学生時代に授業やアルバイト以外で、このような経験できたことは大変ありがたいことだと思っています。

  僕は、4月からオーストラリアの小学校へ日本語教師アシスタントとして派遣されます。サークル活動から得た「人前で堂々と話す力」また「成せば成る」ということを胸に、現地へと向かいたいと思っています。

  4年間ありがとうございました。

(2010年3月卒業・伊藤大祐)


4年間でがんばったこと

2008年大学祭 全日程終了時に

2008年大学祭 全日程終了時に

 4年間の学生生活の中で私が1番がんばったことは、サークル活動です。大学1年生から3年生まで合同祭実行委員会に所属していました。名古屋外国語大学と名古屋学芸大学が合同で毎年10月に開催される大学祭を運営するサークルです。2年生のときに渉外局長、3年生のときに外大副委員長を勤めさせていただきました。このサークル活動を通して、普段出来ないことをたくさん経験し、生涯付き合っていける素敵な仲間にもたくさん出会いました。

  このサークルに入ったきっかけは、友達に誘われたからです。どんなことをするのかもよくわからないまま入部希望を出しました。当時の先輩たちは、誰もが楽しそうで輝いて見えました。そんな先輩たちの下で忙しくて辛いときもありましたが、先輩後輩の仲はとてもいいし、隣の学芸大学と合同のサークルなので、外大の子だけでなく学芸の子とも仲良くなり、日々楽しく過ごすことができ、あっという間に1年目が終わりました。

  2年目、私は渉外局長になりました。実行委員会には外大委員長、学芸委員長、外大副委員長、学芸副委員長の下に全部で6つの「局」があり、たくさんの仕事を分担しています。企画局、国際関係局、模擬局、タレント局、情宣局、渉外局があります。そのうち、私が担当した渉外局は、いわゆるスポンサー集めをしました。いくつかの会社に電話を掛け、その会社の広告を集めたり、イベントで使用する景品をいただいたりする局で、私はその長になりました。1つ前の局長は私たち後輩の前では決して弱音を吐かず、いつも笑顔で明るく接してくれていたので、正直局長という仕事はそんなに大変なものではないと思っていました。しかし、現実はかなり違い、私たちの2倍も3倍も仕事をしていて陰で泣いていたという事実も知りました。実際私も他の局員の倍以上の会社に電話をかけたり、会社側に渡す資料を一人で作成するなど一人で抱え込んでしまい、パンク寸前までになりました。先輩という立場になり、後輩をどう引っ張っていこう、局の仕事をどう上手くやっていこうということを考えていましたが、結局いい考えが出ませんでした。ただ、自分自身がパンク寸前になったこと、次の代のことを考えようと思い、なるべく後輩にも仕事を割り振るようにしました。先輩という立場の難しさを思い知った2年目でした。

  3年目、私は外大副委員長になりました。この年は初めてアーティストをゲストに呼び、近隣の住民の方への配慮や警備の問題、またフィナーレでレーザーショーを行ったので、そのための資金集めが大変でした。委員長を支えつつ、他の子たちが気持ちよく作業が出来るように努めていました。合同祭実行委員としての最後の年だったので、今までで1番最高のものにしたいという一心で時には仲間内で言い合いや喧嘩をしながら日々過ごしていました。しかし、いくら言い合いや喧嘩をしても決して仲が悪くなるということはありません。仕事は仕事、遊びは遊びというけじめがきちんとあったし、仲間がみんないい奴だということを毎日生活していく中でわかっていたからです。仕事がたくさんあって睡眠時間が削られてもそれを手伝ってくれたり、辛いことがあったらとことん話を聞いてくれたり、ばかなことしてばかみたいに笑ったり。そんな仲間がいたからどんなに辛くても私は合同祭が好きでした。たくさんの仲間の存在を知った3年目でした。

  合同祭は毎年1万人近くの来場者があるので、誰もが真剣に自分の仕事をこなし、またイベントを盛り上げなくては来て頂いたお客様に失礼にあたります。そのため夏には合宿を行い、イベントの予行練習をします。また、各局それぞれ与えられた仕事を半年以上かけてこなしていきます。本番直前は、睡眠時間はほぼありません。それでも私たちは笑顔を忘れることなく、励ましあいながら本番を迎えます。

  合同祭のフィナーレ、今までのことが走馬灯のように思い出されます。誰もが抱き合って泣いていました。がんばってきてよかった、この仲間たちに出会えて本当に良かったと思える瞬間でした。

(2010年3月卒業・林 実樹)


学生生活

大学での4年間の学生生活を卒業生の副島慎太さんに振り返っていただきました。

私が来た道

  今から思えば私が来た道にはいつも小さな石と少しの雑草が生えていました。振り返ってみると,そこにはわずかながら道ができていたような気がします。

  大学生活は決して順風満帆と言えるものではありませんでした。私は客観的に見ても明らかに「出る杭」タイプでしたので,大学といった共同体の中では自分を押し殺さなければならないことも多く,心のどこかにいくらか落としてきたものがあるように思います。

  しかしその中で私は私の道を探してきました。サークル活動では短い期間ではありましたが,劇団の一員として私の将来の目標に向けて積極的に活動しました。
授業では科目シラバスから興味のある講義内容を漁り,さまざまな知識を蓄えました。ちなみに私がもっとも尊敬する教授はウィルカーソン教授でしたが,それはこの際どうでもいいでしょう。

  ほろ苦い恋愛も経験しました。恋をした理由は彼女のタイツが紫色だったからですが,それもこの際,もうどうでもいいのです。

  この四年間,大学というひとつの共同体の中で,私はかろうじて私でありながら人並みに充実した日々を送ってきました。しかし,明日から私は社会人としての道を歩み始めます。就職は決まっておりません。はじめから望んでいませんでした。私は,私の道を,拓いてゆくだけです。一年後にはおそらく,かみきり虫か,白鳥か,セロハンテープか,なにかそのようなものに,なるのです。

(2010年3月卒業・副島慎太)