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第5回日本語表現大会・作文部門にて,4年生・和田さんが優勝

  第5回日本語表現大会が2009年12月2日・9日(水)に行われ,2日(水)に行われた「作文部門」で日本語学科4年・和田絢子さんが見事優勝しました。

  新設されたばかりの作文部門の優勝者・和田さんから受賞コメントをいただきました。

受賞コメント

  私は12月2日と9日に開催された、日本語学科・学生部共催、「第5回日本語表現大会」の作文部門で、優勝しました。今年度新設のこの部門で、このような賞と評価をいただけたことを、大変嬉しく思います。

  この作文に込めた私の思いとは、「課題」と「自分への叱咤」と「自分が理想とする学生の姿とは」です。作文を読み返してみて、自分で随分偉そうな内容だと思います。この作文の「呆れた学生の姿」は私の学生生活の中にもあるからです。私は今4年生で、もうすぐ卒業です。大学生でいられる期間は残り短いですが、せっかくこの作文で優勝という有難い賞をいただいたので、理想に近づけるように更に努力をしていこうと思います。

優勝作:「現代の日本社会における大学生の役割」(日本語学科4年・和田絢子)

  「現代の日本社会における大学生の役割」として、私が最も重要であると考えているのは、「自らの判断・行動で学ぶ」ということである。これは大学生として当然のことであるように思われるが、実際に出来ている学生は少ないように、私は思われる。

  現代の日本社会は「全入時代」である。大学も勿論当てはまる。多少学力が低くとも、それに見合ったレベルの大学が用意されている。「行きたい」と思えば入れる。それは喜ばしいことかもしれないが、入学した後のことをしっかりと考えている学生はどれだけいるのだろう。

  私は週に2講、講義のアシスタントをしている。受講している学生を見回ったりするのが主な業務だが、2講ともなかなか疲れる。まず、先生の話を聞かないのをはじめ、余所事、居眠りが多い。また、わからなくなった時は挙手にて質問を受け付けるのだが、「どこがわからないのか」と訊くと「全部」と返ってくる。もしくは、説明を全く聴いていなかったことを誤魔化そうとする学生もいて、怒るどころか呆れることもしばしばある。こういった状況を目の当たりにすると、現代の日本の大学生には、「自ら学ぶ」という当然のことが出来ていないとしか考えられない。

  大学では、単位を取らなければ卒業できない。それには、自らの意志とは異なった講義を受けねばならない時もあるだろう。しかし、その時にも、「自らの判断・行動で学ぶ」ことが必要なのである。義務教育とは異なり、自らレールを敷いて学んでいく必要が、大学にはある。意志とは異なった講義においても、ただ単位を取ることだけを目標と判断せず、その講義によって自分は何が得られるのか、どう学べば良いか判断する。そして、行動していく際には、余所事などをせず、真剣な態度で臨まねばならない。いい加減に判断し、行動して学んだものは、達成感・充実感ともに一時のものにしかならないと私は考える。

  「学生」という存在は、学ぶことを志す児童生徒の憧れである。かつて私もそうだった。その憧れと、学ぼうとする努力を無碍にしないためにも、私たち大学生、「学生」は自らの役割を果たさねばならないと私は考える。