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「Special Dream」

日本語学科2年生の必修科目「創作」では,1期にノンフィクション,2期にフィクションの短編を執筆します。2007年度2期の授業で執筆されたフィクション作品の一つを紹介します。

高校を卒業して大学に進み,社会への出発を目前にしている若者が,進路・将来といったことに対して抱く希望と不安と焦りが入り交じった気分をよく表している作品だと思います。

Special Dream (作:永井茉梨依・日本語学科3年)

 ― 将来の夢は何ですか。
小さい頃からこの質問をされるのが嫌いで、いつも適当に答えていた。でも、もし仮にこれが夢だといえるなら、「幸せになること」。そんな漠然としたものしかなかった。
高校3年、7月。高校生活で最後の個人面談の日。目の前には、私の成績表をじっと見ている担任が座っている。
「成績は大丈夫だから、推薦はしてあげられるわ。でも、面接で志望動機とか聞かれたら困るでしょう?それに、将来のことも、もっと考えたほうがいいと思う。自分が何に向いているのか、ちゃんと考えなさいね。」
彼女は、長い睫毛をバサバサさせながら言った。私のことを考えてくれているのだろうけど、安っぽいピンクのルージュが塗られている口元を見ると、やっぱり口先だけかもしれないと思えてくる。
ただ、ダラダラと4年間を過ごすのなら、大学へ行く意味はない。それくらいのことは私も分かっているつもりだけど、今までずっと将来について考えることを拒んでいたからかもしれない。自分が将来どんな仕事をして、どんな風に生きているのかなんて、全く想像できなかった。いっそのこと、誰かが敷いてくれたレールの上を歩きたかった。
「あの、ひとつ聞いてもいいですか。」
「何?」
「どうして教師になろうと思ったんですか。この仕事、楽しいですか。」
担任の目を真っ直ぐ見て言ったけど、彼女は窓の外へ目線を逸らしてしまった。
「親が教師だったから。子供の頃から、教師になるのは当然だと思ってたし、親もそうなることを望んでた。でも、楽しくて好きよ、この仕事。」
「そうですか。」
面談が終わり、教室を出て廊下を歩いていると、美月が階段を上がってくるのが見えた。先月買ったばかりのマーチンのギターを大事そうに持っている。
「留衣!早かったね。もう帰る?」
「うん。帰るよ。」
「じゃあ途中まで一緒に帰ろ!すぐ終わらせてくるから!」
美月とは生まれたときからずっと一緒にいる。誕生日が一日違いで、生まれた病院も同じ。お互い家も近く、親同士も仲が良かったので、一緒に遊ぶことが多かった。背格好や髪形も似ていて、双子に間違えられることもあった。
でも、似ていたのは外見だけで、中身は全く違う。彼女は小さい頃から社交的で、自己主張を上手にする、誰からも好かれるような子だった。保育園の卒園式で一人ずつ将来の夢を言うときに、美月が、「おおきくなったらかしゅになりたいです!」と言ったのを今でもはっきりと覚えている。なぜか、美月だけがキラキラと輝いて見えた。そして、今もその夢は変わっていない。
 もし、誰よりも歌が上手だったら、私は歌手になりたいと思ったのかな。もし、誰にも負けない自信があれば、自分の信じる道だけを歩いていけた? 私には自信もなければ、特別秀でた才能もない。それなら一体、何があるの? このままだと、自分の存在も、生きている価値も、見失ってしまいそう。
 そんなことを考えながら、教室の前で美月を待っていると、中から美月の大きな声が聞こえてきた。
 どうして先生は分かってくれないの?大学に行くのがそんなに偉い?夢を追いかけることの何がいけないの?
 そう言って教室から出てきた美月の目には、少し涙が浮かんでいた。
「どうしたの?」
 何も答えなかった。ただ俯いて、右手に持っていたギターケースをギュっと握り締めていた。床には水滴が落ちている。私は鞄の中からハンカチを取り出し、美月の顔に当てた。美月は顔を上げ、ありがとう、帰ろっか、と言って歩き始めた。
「別の道も考えたら?って言われちゃった。いまさらそんなこと言われても困るよね……。それに私、諦めたくない。私から歌取ったら、何もなくなっちゃうのに……。」
 ぎゅっと唇を噛みしめて、止まることのない涙を必死に堪えようとしている。私は何も言えなかった。こういう時、どういう言葉をかけてあげればいいのか分からない。でも、泣いている美月をそのままにしておくこともできなくて、そっと美月の頭を撫でた。
「泣いちゃってごめんね……。」
 いつもの優しい笑顔に戻っていた。
美月は歌手になりたいという夢を何度か両親に話してはいたけれど、あまり真剣には受け止めてもらえなかった。それでも何とか親を説得して、中学2年生の時にボイストレーニングに通い始めた。でも、その代わりに出された条件は、高校までは絶対に卒業すること。それに、歌手になることを心から応援してくれているわけではない。美月の両親は2人とも4年制の大学を出ている。だからきっと美月にも大学に行ってほしいと思っているんだろう。
「中卒だって、心に届く歌を作れる人はいるのにね。」
 学校から駅に続く長い下り坂の半分を過ぎたころ、美月が消えてしまいそうな声で言った。
「そうだね……。……今から路上行くの?」
「うん。今日木曜日だし。」
 高校1年から始めた路上ライブ。最初は私と数人の友達しかいなかったけど、最近は少しずつ固定のお客さんがついてきて、毎週聞きに来てくれている人もいるようだ。美月が作る曲は、アコースティックギター1本で歌えるようなバラード系の曲が多かった。マーチンのギターの音は美月の声にも、曲にも、すごく合っていると思う。
 バイバイ、と手を振って美月は駅の方へ向かった。私は美月に手を振り返し、しばらく彼女の後姿を見ていた。どうしてだろう。美月と一緒にいるのが辛いって思った。ずっと一緒にいるのに、美月のために何もできない自分の力のなさも、意志の弱さも、美月といると痛いくらいによく分かる。美月のこと大好きなのに。こんなふうにしか思えない自分が情けなかった。
 その日の夜、夕飯を食べ終えて、英語の予習をしようと机に向かい、参考書を開いたときだった。家のインターホンが鳴り、階段の下からお母さんが「留衣ー!美月ちゃん来てるわよー!」と大声で言うのが聞こえた。玄関に降りて行くと、制服を着たままの美月がいた。
「ちょっと留衣と話したくて来ちゃった。今、大丈夫?」
彼女の顔に笑顔はなかった。
「うん。上がって?連絡してくれればよかったのに。」
「携帯、家に置いてきちゃって……」
 美月は、鞄もギターも持っていなかった。
「ねえ、留衣はどうして大学行こうと思ったの?」
私の部屋に入ってすぐ、座る間もなく美月が私に言った。私が聞かれていちばん困る質問だった。
「……やりたいことが見つからないからかな。」
そう言いながら私はカーペットの上に腰を下ろした。小さな丸いテーブルを挟んだ向い側に美月が座る。
「……私ね、仙台に行こうと思うの。」
あまりにも突然のことで、驚いた。
「学校っていうか音楽スクールがあって……そこにね、どうしても行きたいの。」
「おばさんたちは何て?」
美月は首を横に振った。
「そこまでして歌手になりたいなら、一人で何とかしなさいって。」
 今まで結構オーディション落ちてきたし、このままじゃダメなんだって思い知らされた。路上やってる人の歌を聞けば聞くほど、私はまだまだだなあって感じる。足りないものは何なのか、どうしても知りたい。
 美月の目は、今までにないくらい真剣だった。
「美月が行きたいなら、行って後悔しないなら、行くべきだと思う。」
そんなことを言ったけれど、自分だけがここに置いていかれるような気がして怖かった。それと同時に鼓動が速くなるのが分かった。焦燥感なのか、ただの嫉妬なのかは分からないけれど、美月が遠く感じた。
「留衣ならそう言ってくれると思ってた。」
「……美月はどうして歌手になりたいの?」
美月は少し考えるような素振りを見せた。時計の秒針の音が聞こえる。その音の間で、美月が静かに口を開いた。
「歌うことが好きだから。それだけだよ。考えてもそれしか出てこないなあ。歌ってる時が一番幸せなの。」
「幸せ?」
「うん。できればその時がずっと続いて欲しいし、私の歌を聞いてくれる人が一人でもいてくれるなら、私は歌い続けるよ。頑張ろうね。私も、頑張るから。」
そう言った美月は、保育園の卒園式で見た時よりも、はるかに輝きを増していていた。

― 続いての曲は、……今年の3月にデビューしたばかりなんですね。mizukiで『Special Dream』―
 ラジオで流れたのは美月の歌。美月はあれから順調にデビューへの道を進み、小さいレコード会社からだけど、メジャーデビューという形でCDを出すことができた。
 私は大学に進学した。たくさんの人との出会いや環境の違いが新鮮で、毎日が充実している。
今週末までに提出しなければならないレポートを書きながらラジオを聴いていると、手元に置いていた携帯が鳴った。美月からだった。
「もしもし留衣!?」
1ヶ月ぶりくらいに聞く美月の声は、とても明るかった。
「久しぶりだね。新曲聴いたよ!」
「ホントに!? ありがとう!」
「あのね、私、美月に言おうと思ってたことがあるんだ。」
 私の夢は、幸せになること。そして、夢に向かって頑張っている人の背中を押してあげられるような人になること。勉強も、仕事も、幸せになるためのひとつの手段だと思う。限られた時間の中で、自分を磨いて、今できることを精一杯やりたい。自分の可能性を信じて。