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「英語+something」(舘隆幸さん)

  日本語学科を卒業した先輩である,舘隆幸さんから皆さんへのメッセージをいただきました。

  普段なかなかお会いできない先輩の現在のお仕事の様子や,学生当時の生活の様子,皆さんへのメッセージから,皆さんはどんなことを感じましたか。自分の今の生活のことや将来のことを改めて考えてみてください。

英語+something

  名古屋外国大学に入学したのは2001年でした。大学では言語学、日本文化、日本語教育などについて学びました。英語にも力を入れ、オーストラリア留学も経験しました。卒業後はベトナムで2年3ヶ月ほど日本語を教える機会に恵まれました。日本に戻った後、カメヤマ株式会社で6年ほど貿易事務の仕事をし、2013年の9月からは、ラオスのラオス日本センターというところで日本語コースの調整員をやっています。

名古屋外国語大学への入学

  高校に入った時は英語が特に好きではなく、むしろ苦手な科目でした。しかし、ALTの先生とジェスチャーを交えなんとか交流をしようとする一面もありました。高校で進路を決める頃、徐々に英語に興味を持ちだし、名古屋外国語大学(NUFS)への進学を決めました。

  実は英米語学科志望だったのですが合格できず、第2希望の日本語学科に進むことにしました。日本語学科で英語学習がしっかりできるか不安でしたが、同学科でも英語は必須になっており、また外国人先生の授業や留学生との交流などで英語に触れる機会は多く、英語力を伸ばすことができました。

  また、言語学や日本語教育についての知識を身につけられたことも良かったと思っています。日本語を外国語と捉え、発音、文法、文化など様々な視点から日本語を知ろうというアプローチは、私にとってとても新鮮で、「日本とはどんな国か」「日本語とはどんな言語か」ということを考えさせくれたように、また外国語学習に深みを持たせてくれる機会を与えてくれたように思います。

ニューキャッスル大学への留学

  3年生の時NUFSの交換留学プログラムを利用し、オーストラリアのニューカッスルへ10ヶ月留学をしました。オーストラリアは多民族・多文化国家で、私が勉強していた大学にもたくさんの留学生がいました。移民の数も多く、アジア系からアフリカ系まで、いろんな人種の人がいました。異文化を理解することは簡単なことではありませんでしたが、文化を越えて分かり合えた時は強い絆を感じました。

  最初の半期は語学学校に通い毎日英語を勉強しました。後期は大学で言語学などの科目を履修し、英語での授業に苦労しながらも達成感を得ることができました。英語圏での生活を通じ、英語に触れる機会が増えたことはとても刺激的でした。まだまだ英語力が足りないと感じる場面もあり、一層の努力が必要と感じましたが、焦らずに勉強を積み上げていけば良い、と思えるようにもなりました。

ハノイ貿易大学での日本語教師経験

  オーストラリアでの留学を経験し、将来は海外と関わる仕事に就きたいと思うようになりました。そこで、今まで大学で勉強してきた分野が活かせないかと思い、日本語教師になることを決意しました。私が日本語教師の場として選んだのはベトナムのハノイにあるハノイ貿易大学でした。ベトナムでは日本語教育熱が高まっていて、学生も積極的に日本語を学習していました。

  同大学で2年3ヶ月の間、1年生と2年生の授業を担当しました。日本語を教えた経験は浅く苦労もありましたし、学生から文法や語彙の質問を受けてもうまく答えられないこともありました。1クラス40人程度の大きなクラスで、授業をコントロールするのも一苦労でした。そんな中でも、学生の日本語が少しずつ上達していき、その手助けができたと思うと、また後に学生が日本の会社で働いて頑張っているということを聞くたびに、なによりうれしい気持ちになります。2年余りの短い期間でしたが、日本語を教えるということはどういうことか、身を持って知ることができ、良い経験になりました。

貿易業務への転身

  日本に戻ってからは、カメヤマ株式会社というローソク・キャンドルの会社に就職しました。私は国際課で輸出入の仕事や海外に商品の見積もりを取る仕事をしていました。日本語教育と関わる仕事ではありませんでしたが、海外と関わりがあり、英語も活かせる職場だったのでやりがいはありました。短期の海外出張も経験し、ビジネスシーンにおいて英語で交渉する力も付くようになりました。

  入社以来、どうしたら仕事が早く正確にできるのか、と試行錯誤の毎日でしたが、経験を積むごとにヒアリング力、スケジュール管理力、コミュニケーション能力といったスキルが身に付ついていき、成長できた6年間でした。

JF日本語講座調整員として

文化紹介イベントの一コマ

文化紹介イベントの一コマ

  前職を退職し、2013年の9月にラオスの首都ビエンチャンにあるラオス日本センター(*1)に赴任しました。国際交流基金(Japan Foundation)からの派遣で「JF日本語講座調整員」をしています。「JF日本語講座」とは国際交流基金が開発した教材や教授法を用いて行う講座のことで、27か国(2013年9月時点)で開講されています。同センターでは2012年10月よりJF講座が開始されました。この講座をとおして、ラオスでの日本語教育が普及することを目指しています。

  センターには日本語の専門家が1人常駐しており、講座における日本語教授のアドバイスを行っています。また日本語教育普及の活動として、近くの高校に出向いてデモレッスンをしたり、地方都市を訪れ、日本語を第二外国語の科目として実施してくれるところを探したり、ラオスにある民間日本語学校の関係者に集まっていただきネットワークを作ったりし、活動は様々です。日本語教育に関わる部分は専門家がメインになり、そこで形になってきたものを実現するために、調整員がいろいろと手配をしたり、予約や支払いなどをします。

  日本語を教えることはありませんが、業務の内容は深く日本語教育に関わり、NUFSで学んだ知識やベトナムでの経験が役立っています。また実務や交渉などのシーンでは社会経験で得たスキルを活かし、任務遂行、問題解決に力を注いでいます。

  業務は基本的に英語で行います。会議や資料作成なども英語で行う必要があります。しかし流暢な英語が必ずしも必要というわけではありません。大事なのは問題解決のために相手の話をよく聞いて、強調するところを端的に伝えられる、ということです。ただ日常生活になると、やはりラオス語が話せるほうがいいですし、赴任国の言語や文化を知るためにも日常会話ができるように頑張っています。

  ラオスの人口は約620万人(2012年調べ)の小さな国で、日本語学習者も500-600人程度と、周りの国々と比べても日本語が学べる環境は限られていると言わざるを得ません。しかし2003年にはビエンチャンにあるラオス国立大学文学部において日本語学科が設立されたり、民間の日本語学校やその他の機関でも日本語クラスが開講されており、学習者の増加が期待されています。

ラオスの人々は温厚な性格で、敬虔な仏教徒が多く、古き良き時代の文化を大事にしています。またラオスは山や川など自然にも恵まれていて、近年東南アジアの旅行先としても注目を浴び、観光にも力を入れています。日本の企業も数は多くないですが、ラオスに進出してきているところも徐々に増えています。これからの発展の中でますます日本とのつながりが強くなっていくラオスにおいて、日本語教育が果たす役割は大きいと感じます。その橋渡しになれるようここビエンチャンで日々頑張っています。

托鉢

托鉢

ラオス料理の数々

ラオス料理の数々


英語+something

  最後に在校生、受験生の皆様に。
  NUFSに入学して以来、英語の勉強をずっと続けてきました。道半ばではありますが、入学時と比べれば雲泥の差で、仕事でも使えるレベルまでになりました。しかし英語だけしかできないとなると、将来の選択肢は限られてしまいます。「英語を使ってこれもできる、あれもできる、それも大丈夫」となれば視野は広がります。つまり「英語+something」です。新しいことに挑戦し、できることを増やしていって、自分なりの「英語+something」を皆さんが見つけられるよう、ラオスよりエールを送っております。

所属先:国際交流基金 https://www.jpf.go.jp/j/
赴任国機関:ラオス日本センター http://www.lji.edu.la/